福山。
青木新門氏の「納棺夫日記」を読む。
現代人は身近な人の死にあっても、それはあくまで「人の死で」であり、自分もまた死ぬ存在だと気付くまでには至らないそうである。身につまされる。
青木氏が詩人ということもあり、宮沢賢治の詩がところどころに引用されている。
宮沢賢治は、相手の立場に立つということを、徹底的に実践した人らしい。
「納棺夫日記」には直接関係ないが、ふとわかったことがある。
ワタシは何度か宮沢賢治の「注文の多い料理店」という短編を読んだが、よく意味がわからなかった。解説には、都会文明と放恣(ほうし)な階級とに対する反感と書かれているが、それにしても、ピンとこない。
よく考えたら、ハンターが出会った恐ろしい山猫(らしい)は、他の生き物を食べる人間そのものの姿であり、ハンターは、人間に食べられている「生き物」だ。立場が変わってしまったことにまったく気付かないハンターは、滑稽な本性をさらし、最後は恐怖でただ泣く。
他の生き物の立場に立ったら、人間はこんなに恐ろしいということか。。





